そして月夜が意識を取り戻したのは三日間後だった。
 おきると隣に莉那がいた。ハッと体を起こすと困ったように莉那は頬を掻いた。
「起きないで下さいよ、月夜さん」
 妙な訛りのある言葉に首を傾げてふと思い出した。
「夕香は」
 思わず口に出ていた言葉に自分自身驚いていた。言った後に右手で口を押さえると莉那
はクスクス笑った。
「そこで寝てますよ。まだ起きてないけど」
 その言葉に我知らず息をついていた。ほうと漏れた息と共に力が抜けた。心の底からよ
かったと安心していた。だが、月夜にはその気持ちがわからない。
「とりあえず、嵐と教官に伝えてくるだ」
 そう言うと莉那は病室に出た。確かにとなりのベッドで眠っていた。その蒼褪めた顔と
ぱさついた胡桃色の髪を見て少し胸が痛んだ。目を伏せていると扉から嵐が顔を覗かせた。
「やっとおきたのか」
「教官は?」
「仕事。今、修哉しばいている」
「そうか」
 相変わらずなもんだなと呆れながら溜め息をついた。毒も抜け切ったようで体は軽く指
先も痺れてない。
「夕香は何も無いのか?」
 少し違和感があるものの少しなれた。その言葉に嵐は驚いたようにそして嬉しそうに目
を見開いた。
「あんだよ」
「いや。大丈夫だ。ただ、凍傷が酷くてな。後は霊力の不足で寝込んでる。まあ、平気だ
ろう」
 一つ頷くと溜め息をついた。そのときに教官が来た。嵐を病室に蹴りいれ乱暴に病室の
扉を閉めると溜め息をついた。まだ怒りが醒めやらぬようだ。
「やっと起きたようだな。藺藤」
 はいと頷き次の言葉を待つ。教官は深く溜め息をつくと一つ手帳を取り出して確認して
から口を開いた。
「とりあえず任務受付の連中がしくったせいで死にかけたとして入院費とお前らが知らさ
れていた任務報酬の三倍ふんだくった。それで良いだろう」
「三倍も?」
「ああ。これぐらい当然だ。新人には荷が重すぎたと上も反省させておいた。ああいうで
かぶつを扱うのは最低でもあたしぐらいの格になってからなんだがな。管理が甘すぎたな。
あの連中」
 愚痴と成り果てているその言葉に苦笑を返し嵐と目で話した。反省させるってこわいな
と。
「とりあえず、休暇もとってある。十分に体を休めるように」
「はい、ありがとう御座います」
 言葉を聞くや否や教官は病室を出て行った。
「忙しいんだな」
「そうだろうけど、なんとなくやな予感するぞ」
「恐らく、反省させに行った」
「だな」
 頷くと溜め息をついた。立ち上がると嵐はまた来ると言い残して病室を出て行った。
「日向」
 靴に足を突っ込み夕香のベッドに近づいた。すやすやと眠っている夕香に触れたくなっ
てそっと頬に触れた。滑らかな肌が感じられた。暖かくていつの間にか詰めていた息をそ
っと吐き出した。近くにあった椅子に腰を掛け白い面をしげしげと観察した。
 意思を雄弁に伝えるその顔は、今は穏やかな顔をして眠っている。強い光を宿す瞳も今
は目蓋に閉ざされている。意外に細い眉もひそめられもせずにただ緩やかな弧を描いてい
る。
「こんな明るいのによく寝てられるな」
 そうぼやくと溜め息をついた。ふと、夕香が目蓋を開いた。ぼんやりと天井を見つめて
視線を彷徨わせて月夜を見た。
「月夜?」
「なんだ?」
 首を傾げると夕香はふっと微かに笑ってまた眠ってしまった。その穏やかな顔に微かに
笑みが残っている。月夜はなんともいえない虚ろな感覚が胸を巣食うのを感じて深く溜め
息をついた。
 そして、それから数日がたち、夕香が目を覚ました。開口一句腹減ったと言い周囲を呆
れさせた一面、変わらぬ夕香にホッとさせていた。夕香の粥を用意したのは、意外にも月
夜だった。
「ねぎ入り卵粥だ。塩で味付けただけだが仮にも病人である訳だから何も言うな」
 命令口調でそう言うと病室にある机に置いた鍋の蓋を取った。白い湯気が立ち込め灰色
の鍋の中に黄色い粥が出てきた。取り皿に盛ってやると月夜は隣にあるベッドに体を横た
わらせ夕香に背を向けた。まだ、月夜も退院していないのだが寄宿寮のほうにちょくちょ
く帰っているらしい。
 薄い病院服に包まれた背中は広く漆黒の髪が項にかかっていた。その後姿を眺め一つ溜
め息をつくと粥を食べ始めた。
 静寂があたりを包む。互いの呼吸の音と夕香が食べる箸と器があたる微かな音が病室内
に響く。そして、食べ終わって立とうとしたが月夜に無言でとめられた。いつのまにか月
夜がこっちを向いていた。
「寝てろ」
「太る」
「別に良いだろ。どうせ、任務で痩せるだけだろ?」
「あんたとは違うんです」
 しばらく睨みあうとどちらともなく自然に笑みがこぼれた。急に馬鹿馬鹿しくなったの
だ。月夜も肩を震わせて笑っている。その顔を見てふと驚いた。
「藺藤もそんな顔して笑うんだ」
 嬉しそうに言われたその言葉に月夜は驚いた。虚を突かれて目を見開くとしばらくして
肩を竦めて穏やかにああと頷いた。
「久しいよ。こんな穏やかなのは」
 その声音が優しくて、温かくて夕香は少し嬉しくなった。月夜のそんな声音は聞いた事
がなかったからである。
「あたしも。何でだろうね?」
「さあ?」
 肩を竦めるのも月夜。くすくすと笑い続けているのは夕香。二人の間に穏やかな空気と
時ばかりが流れていく。
 数日が経って夕香と月夜は同時に退院した。寄宿舎に帰るまで並んで歩いていった。以
前の二人ならばありえなかった。着実に二人の中に何かが芽生え始めていた。



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